東京都立日比谷高校(以下、日比谷高校)と、東京都立西高校(以下、西高校)といえば、
かつての旧制中学以来の長い伝統を誇る、名門高校の代名詞的存在です。
日比谷高校も西高校も、
東京府の府立中学のナンバースクールを起源としていますが、
日比谷高校は府立一中、西高校は府立十中が、その前身です。
府立一中の創立は1878(明治11)年、府立十中の創立は1937(昭和12)年ですが、
日比谷高校も西高校も、創立以来、多数の東大合格者を輩出し、
屈指の名門高として、覇を唱えていました。
特に、1950~1960年代にかけて、
公立高校人気はピークを迎え、日比谷高校と西高校は、二大名門高として全盛期を謳歌しましたが(1965(昭和40)年には、東大合格者数で1位が日比谷高校、2位が西高校)、
1967(昭和42)年、かの悪名高き「学校群制度」の導入により、
日比谷、西の両校の威勢は急速に衰え、
それに代わり、開成や灘などの私立高校が、急速に台頭します。
特に日比谷高校の凋落ぶりは酷く、
1993(平成5)年には、日比谷高校の東大合格者数は、過去最低の「1人」にまで落ち込んでしまいます。
「学校群制度」は、明らかに、
名門の都立高校(特に日比谷高校)を「狙い撃ち」したような制度でしたが、
まさに、その効果は覿面であり、
ある意味、文部省の狙い通り、日比谷高校と西高校は没落の一途を辿ってしまいました。
しかし、2001(平成13)年の都立高校改革により、
日比谷高校や西高校は、進学指導重点校に指定されると、両校は徐々に復活の兆しを見せ、
2016(平成28)年には、
日比谷高校は53人、西高校は32人という東大合格者数を輩出するに至りました。
(日比谷高校が50人以上の東大合格者を輩出したのは、44年振りの事でした)
こうして、紆余曲折を経て、かつての名門高校の威光を取り戻しつつある、日比谷と西の両校ですが、
「学校群制度」による「失われた40年」の後れを、これからどのように取り戻して行くのか、注目したいところです。
それにつけても、「学校群制度」は、つくづく、全くの愚策だったと言わざるを得ませんが、
それに負けず、何とか学校の伝統を守って来た日比谷高校と西高校の頑張りは、称賛に値すると言えるでしょう。